デビュー作『ヴァニタス』がPFFアワード2016観客賞を受賞し、その後数々の映画祭にノミネート・上映され、国内外の映画祭で評価された内山拓也監督の新作『佐々木、イン、マイマイン』の情報が解禁となった。
『佐々木、イン、マイマイン』あらすじ
俳優になる為に上京した三谷悠二は、鳴かず飛ばずの日々を送り、現在27歳。別れた彼女のユキとの同棲生活は未だに続き、彼女との終わりも受け入れられずにいた。ある日、高校の同級生の多田と再会し、在学当時彼らの中で絶対的な存在だった佐々木に話が及び、悠二の中で彼らとのあの日々の記憶が思い起こされていく。後輩に誘われ、悠二はある舞台に出演する事になる。稽古が進むにつれ、次第にその内容が過去と現在にリンクし始め、悠二の日常を急速に加速させる。そんな矢先、数年ぶりに佐々木から着信が入る。悠二の脳内に鳴り響いたのは、「佐々木コール」だった。
近作、King Gnuの「The hole」や平井堅の「#302」のMVのディレクターとして注目を集める新鋭・内山拓也が、時代を貫くキャスト・スタッフ陣と挑んだ青春映画『佐々木、イン、マイマイン』の出演者などの情報を解禁した。
主演は『his』の藤原季節が務め、内山監督と本作を共同企画した細川岳や、『転がるビー玉』『37セカンズ』の公開が続く注目の女優・萩原みのりが名を連ねる。その他、遊屋慎太郎、森優作、小西桜子、河合優実、そして『ヴィニルと烏』の出演も話題になったKing Gnuの井口理や、鈴木卓爾も出演していることが明らかに。
また、撮影は『宮本から君へ』『きみの鳥はうたえる』などの四宮秀俊、スタイリストは『少女邂逅』や『サラバ静寂』などの松田稜平、スチール写真は『愛がなんだ』『街の上で』などの木村和平らが集まり、近年の日本映画を代表する注目のスタッフが集まった。
本作は現在撮影中で、3月まで撮影を行い、2020年秋に劇場公開を予定している。そして、同時にクラウドファンディングサイト「MotionGallery」にて支援者の募集が開始となった。
https://motion-gallery.net/projects/sasaki/
藤原 季節 コメント
「最後のチャンスだと思っている」と僕に脚本を渡した細川岳は言いました。この半端じゃない映画を自分に背負えるのかと踏みとどまった時、「俺は全く何も心配していない」と内山拓也は言いました。
19歳で上京して役者を始めてから今まで苦しくなかった日はないです。高校を卒業してからの僕は何をして、何処にいたんだろう。この映画の主人公は僕自身です。映画の中で失った過去をもう一度生き直します。ラストシーンを撮り終わった時、もう立ち上がれなくても構いません。僕にとってもこれは最後のチャンスです。
萩原 みのり コメント
私は初めてこの脚本を読んだ時、しばらく天井を見上げたままその場から動けなくなりました。本を読んだだけの段階で、こんなにも自分の演じる役を愛おしく感じているのは初めての経験かもしれません。
悠二と暮らすアパートの部屋の匂いや音、ぬくもりが鮮明に伝わってきて、なんだかドキドキする。早くユキの台詞を言いたい。
この作品の一部になれることを、とても幸せに思います。撮影が始まるのが楽しみです。
遊屋 慎太郎 コメント
同年代で、映画を作る。僕の憧れでした。経験も実力も、まだまだ浅いですが、選ばれた以上、全力を尽くします。
佐々木という男を中心に、同じ時間を高い熱量で共有した若者たちを演じます。もう決して若いとはいえない年齢になってしまいましたが、今だからこそ思える、あの時間の大切さを、丁寧に表現できればと思います。宜しくお願いします。
森 優作 コメント
内山監督のことは 「ヴァニタス」をぴあフィルムフェスティバルで観ていて、すごく映画に対しての思いが強い方という印象があって、今回お話をいただいてとても刺激的な共演者の方たちとのモノづくりに参加させてもらえる事を光栄に思っています。
尽力します。よろしくお願いします。
河合 優実 コメント
オーディションでお芝居をしたときに、内山監督が私を面白がって下さったのがわかり、すこしウキウキしながら帰路に着いたのを覚えています。
監督や共演者の皆さんを始めこの作品に関わる全ての方々との出会い、そのご縁にとても感謝しています。
この映画における佐々木という存在が、観てくださる皆さんがきっとひとつやふたつ持っている、何故かずーっと忘れられない憎めない変わらないたいせつなものと重なったらすごくすてきだなあと思います、佐々木、イン、ユア、マイン!!
わたしはそのための力になれますように!!
井口 理(King Gnu) コメント
自分に与えられたこの場所に対して、できること、できないこと、それぞれしっかり見つめて向き合っていきたいです。
この作品の一部となれること、誇りに思います。
鈴木 卓爾 コメント
脚本を読んで、昔友達とはぐれた事、友達と過ごした地元の事を思い出しました。この映画はきっと、自分は誰かにとってどんな友達だったか、誰のことを友達と思ってきたか、友達だとか友達じゃないとかそんな過去の、でも、今も連絡してくる生々しさ、そんな気持ちに連れていかれる映画になるんじゃないかと思いました。私もこの映画に出演して友達に連絡しなきゃ。
内山 拓也監督 コメント
数年前のうだるような夏のある日、細川と居酒屋に入った。
いつものようにビールで乾杯すると 「撮らなければいけない映画がある。これがダメなら俳優を辞めようと思う」 久々に会った彼はどこか楽観的で、それでもその言葉は強く、意志は固かった。
“片足は墓穴にありてわれは立つ”まさにそういった具合に。
その真剣な眼差しに、背筋を伸ばして企画の内容を問うと、これまで聞いたことがない魅力的な人物についてでした。 私の周りにも大概おかしな奴しか居ないと思っているが、細川が語るその人は、それ以上に誰よりも狂っていた。それなのに、他人の気がしないのは何故だろう。きっと皆んなもそう思うんじゃないか。昔から知っていて、会ったことすらある、そんな気がしてならない。 答えは明確には分からないけれど、その答えを探す、それぞれの映画になればいい。 圧倒的に面白かった居酒屋での細川の語り口に負けない、その人の泥臭い人間味を過不足なく、それ以上にリアリティが生まれる脚本を描き、それでいて映画然としている映画にする。 この実にシンプルで難しい挑戦を、彼は素知らぬ顔で鼻をほじりながら投げてきた。
だったらこちらにも考えがある。逃げも隠れもしない。晴れた道の真ん中を堂々と歩くかのように立ち向かい、その豪速球を真芯で捉えて打ち返すのみだ。
これは勿論私が勝手に言っていることだが、大いに真剣だ。 私は、どんなジャンルの映画だろうと、大半は結局のところ青春映画だと思っている。家族や宇宙やゾンビも。大概は。それは、映画が人物を映す以上、そこにドラマが必ず生まれるからだ。人生は青春だ。そんなクサい言葉も許される、今作は、現実と地続きになるような、愛おしいわたしたちの物語です。
細川 岳 コメント
彼は本当は臆病な人間なんじゃないかと僕は思う。泣いている姿や、誰かのことを好きになった姿も見た事がない。 大人にならなければいけない生活を送る中で、悲しいことやしんどい事が、彼の周りでは僕なんかよりきっと沢山あって、そういう事を越えた結果、彼は面白い事をする=服を脱ぐという行為で、自分はここに存在していると自分自身で証明していた気がする。 友達に金を借りて、賭け事に負けて、返さなければいけないお金の催促をされても、「金ないわ。黙れブス」と金の代わりに言葉を返してぶん殴られる。そうして『俺は悪くねえ』という態度を取り続ける。そんな彼の姿を今でも覚えている。 自分が正しい。俺が間違っている筈がない。 彼はいつだってそう思っていたように思う。 僕はそんな彼が羨ましかった。 人の目を気にせず裸になったり、突然女の子のおっぱいを触っても許される彼は、魅力的だった。
誰かを優先する事もなく、自分の話したい事を自分のタイミングで周りにいる人を巻き込んで話し、誰かを笑わせる前に自分が笑っている。そんな彼の狂った魅力を常々感じていた。 僕なんかでは到底手が届かないようなあの日、あの時、あの瞬間、彼はいつだって誰よりも野生的だった。あの頃のように一人のことしか見えなくなる事や、誰かの生命力が爆発している姿を、僕は知らない。きっとこれからも知る事はない。
だから彼には変わらないでいて欲しかった。 大人になった彼は僕に言う。「最近どうだ?東京はおもろいか?」二回も、三回も僕に言う。僕は彼には強く生きて欲しい。面白くあって欲しい。できる事なら突発的で野生的だったあの頃の姿をもう一度見たい。 だけど、彼はあの頃持っていた絶対的な何かが欠損してしまったように思う。 そして生命が爆発していた彼のあの頃の瞬間を、姿を、僕はきっと忘れていく。現在の彼があの頃の彼になって、記憶が書き換えられてしまう。忘れてしまう。それが嫌だ。今しかない。時間が経てば経つほど記憶は無意識に捻じ曲がる。もう曲がってるかもしれない。できるだけ鮮明に、丁寧に、描かなくてはいけない。画面の中に閉じ込めたい。そしてそれを見た彼には思い出して欲しい。自分がどれほど狂っていたか。もう大人だからちんこは出すな。それ以外にも面白い事はいっぱいある。それをやってくれ。お前のままで生きろ。と言いたい。