MOOSIC LAB 2019長編部門グランプリ作品の映画『眠る虫』が、9月5日(土)より東京・ポレポレ東中野で公開中です。本作は、バンド練習に向かうバスの中で歌を口ずさむ老婆が気になった佳那子が、そのまま老婆をストーキングし、やがて名前のわからない街へと辿り着く…という、“死者”と”声”を巡る物語。今回は、「祖母のメディアに保存された声」から本作の着想を得たという金子由里奈監督に、本作に対しての想いや細部へのこだわりを中心に、お話をお聞きしました。
『眠る虫』あらすじ
<幽霊って、どこから声を出しているんだろう>
バンド練習に向かうバスの中、芹佳那子が遭遇したのは、とあるメロディ。歌を口ずさむ老婆が抱える木箱に興味を惹かれた佳那子は、練習をすっぽかして彼女のストーキングを開始。乗客が少なくなっていくバス。夜に包まれた終着駅。名前のわからない街で佳那子がたどり着いた先は――。これは、“死者”と”声”を巡る、小さくも壮大な旅の記録。
––ストーリーの構成や発想が面白く、記憶に残るシーンがたくさんある作品でした。まずは本作の着想を教えてください。
金子由里奈(以下、金子) 映画を撮り始めてから、画家をしていた父方の祖母のことを考えるようになり、祖母の映像や書いた文章を読んでいたんです。メディアに保存された祖母の声を聞いたとき、過去の空気振動を返して保存された音が、今の空気振動を返して音になっていることにすごくゾッとして。声が肌に触れている感覚がすごく怖くて、その“声の怖さ”というものにすごく興味が湧き、幽霊の声についての映画を作ろうと思いました。
––保存された声の生っぽさ、幽霊の声に対する興味から、どのように物語を膨らませていきましたか?
金子 物語や映画で描かれる幽霊は喋って何かを人間に訴えているけれど、なぜ生者(せいじゃ)は幽霊を喋る存在にしたのか、何かを訴える存在にしたのかということを考えていました。幽霊は息をもたないから声帯も震えないのに、物語を創作するうえで、なぜ人間たちは幽霊を喋らせたかったのかと。結局それは、生者が幽霊と話したい、生者が死者の情報を更新したいからなんだろうなと考え、脚本を書いていきました。
––金子監督は、その興味や発想を、どのように映画へと変換しているのでしょうか?
金子 脚本を書いているときはまだ具体的なイメージは無かったのですが、映画を作る作業=考える作業なので、考えながら映画を作り、映画を作りながら考えるというような感じで進めています。
––本作は、言葉(セリフ)の魅力もありつつ、構成も引き込まれたのですが、いつも脚本はどのように書かれているのでしょうか。
金子 言いたいことをポストイットとかに書いて、それを言葉やシーンに分散していくような作業をしています。あとは、家の中で書かずに公園や喫茶店で書いていて、多分誤読も含まれると思うんですけど、たまたま聞こえたセリフとかをそのまま取り込んでいます。例えば冒頭で「爪伸びてるね、まだ旅の途中なんだよ」という男女のセリフが、主人公が録音した音に入っているんですけど、それは喫茶店でコーヒーを飲んでたら「爪伸びすぎじゃない?」「まだ旅の途中なんだよ」という会話が聞こえてきて。そういう偶発性のようなものをどんどん脚本に取り込んでいます。
––「久しぶりって言うために生きてるな」とか、「書いてあげないと場所が死んでいく」とか、セリフや言葉がシーンと共に頭に残りました。
金子 「久しぶりって言うために生きてるな」というのは、会っていないそれぞれの時間によって起こる、ズレのようなものを確かめたり楽しんだりするために再会ってあるよなと考えてセリフにしました。あと、「書いてあげないと場所が死んでいく」というのは、場所を場所にしているのは人間だと思うんです。人間が名付けなかったら、誰かの記憶と結び付けなかったら、その場所は、一生無視されてしまうような存在になってしまう。だから、場所と人間って深く結びついているなと考え、セリフにしました。
––金子監督は、いろんなものを映画の中に取り込む(吸収していく)力がある方だなと思いました。作品の中で少し浮いてしまいそうなものも意識的に取り入れているのでしょうか?
金子 脚本を書くうえで、このシーンは浮くなと思いながら書くことはあります。本作の渡辺(紘文)さんのシーンは撮影中も「これちょっと変なシーンになるね」というのは自覚的にやっていて。日常でも突飛なことが起こったりするけど、みんな何事もなかったかのように過ごしているので、そういうことが起きてもいいんじゃないかなと思ってあのシーンは書きました。
––木箱のようなアイテムや小物は、ストーリーとどのように結び付けていきましたか?
金子 木箱をモチーフで使おうというのは、初めの頃から決めていました。木箱って、映画や人の記憶を喚起すると思ったんです。物に宿る人の時間を考えるのが好きなので、物は積極的に映画に映したいと思っていて、アイテムや小道具は最初からみっちり考えています。
––スリッパの袋を開くシーンや、手元がアップになって石が移動しているようなシーンも印象的でしたし、気になる、引き付けられるシーンだと思いました。
金子 スリッパは、たまたま散歩しているときにスリッパ専門店というのがあって、そこを覗いたときに、袋に入っているスリッパがめちゃくちゃ息苦しそうに見えて…。そのスリッパも開封されたときに「フッ」って息をしているんじゃないかなと思って、あのシーンを入れました。石のシーンは、「今日は石を撮る日」と決めて、カメラマンと助監督と車で移動して石を撮っていたときに、カメラマンの平見さんが提案してくれたんです。石そのものは動けないけど、人間が石を運んでいるという光景を撮りながら素敵なシーンが撮れたと盛り上がりました。
––佳奈子を演じた松浦りょうさんの纏う空気感も、作品ととてもマッチしていました。ご一緒されていかがでしたか?
金子 映画への理解がある方でした。主人公の佳那子は主体性のない感じの、交換可能な存在をイメージしてました。私の拙い言葉を丁寧に汲み取ってくださり、演じてくださいました。あと、亀を触るシーンで、触った後にアドリブでティッシュを取っているんですけど、松浦さんはちゃんとティッシュの場所を探してから取っているんです。作品の中での役としての流れや文脈を大事にし、積み重ねていく演技ができる方でした。
––本作はMOOSIC LABという企画で作られた作品なので、音楽の入れ方もこだわられたと思います。Tokiyoさんとはどのようなお話をされましたか?
金子 脚本が第一稿の段階から、音楽はTokiyoさんに依頼しました。最初にお話したときは、幽霊の話で2時間くらい持ち切りで…(笑)。でも、すごく上手く行くぞという確信がありました。第一稿は物語も全然違っていたのですが、そのときから、この映画は音楽が映画の息のような感じでずっとなっていることはイメージしていたんです。ストーキングのシーンは煽るような感じでとか、こういう音楽が欲しいということは細かくお伝えし、何回かリテイクがあり、最終的にああいう音楽になりました。音楽は結構話し合いを重ねて作りましたが、びっくりするくらい素晴らしい曲ばかりでした。
––ファンタジックな空気だけれど現実感があり、ファンタジーにはならないバランス感が本作の面白さであり魅力だと思いました。どのような意識を持って作っていたのでしょうか?
金子 以前作った『散歩する植物』や『食べる虫』でも、そのような感想をいただくことが多かったんです。これは別にSFでもファンタジーでもなくて、ただそういうことが起きているだけなんで、というような感じで、変な展開だと思わずに演出して、役者さんにもそう伝えていて。「だからなんですか?」というように毅然とした感じで、作っているからかもしれません。物語にも全く奇をてらわずに取り入れていますし、脚本も「これはこういうものなので」というような態度で書いているので、それが結構影響しているのかもしれないですね。
––本作を撮って、映画や映画作りに対してご自身の中で変化はありましたか?
金子 今回はじめて脚本もしっかり準備をして、映画作りの作業もいつもより丁寧に行いました。作りながら、映画の懐の大きさや可能性を感じ、映画ってこんなに面白いんだと思えて、できることが少し増えた感じがしました。
––映画への可能性を実感した上で、次に撮ってみたい作品も生まれていますか?
金子 今は「脱人間中心主義」に興味があります。例えば、人間が絶滅したあとの世界とか、自分の見ることができない世界を映画で観てみたいなと思い、いろいろ考えています。
––ありがとう御座いました。次回作も楽しみにしています。