「社会において誰が主役とかない」主役という固定概念が存在しない映画―
映画『タイトル、拒絶』について⼭⽥佳奈監督にインタビューしました。(聞き手:矢武)
『タイトル、拒絶』あらすじ
雑居ビルにあるデリヘルの事務所。バブルを彷彿させるような内装が痛々しく残っている部屋で、華 美な化粧と⾹⽔のにおいをさせながら喋くっているオンナたち。カノウ(伊藤沙莉)は、この店でデ リヘル嬢たちの世話係をしていた。オンナたちは冷蔵庫に飲み物がないとか、あの客は体臭がキツイ とか、さまざまな⽂句を⾔い始め、その対応に右往左往するカノウ。店で⼀番⼈気の嬢・マヒル(恒 松祐⾥)が仕事を終えて店へ戻ってくる。マヒルがいると部屋の空気が⼀変する。何があっても楽し そうに笑う彼⼥を⾒ながら、カノウは⼩学⽣の頃にクラス会でやった『カチカチ⼭』を思い出す。「み んながやりたくて取り合いになるウサギの役。マヒルちゃんはウサギの役だ。みんな賢くて可愛らし いウサギにばかり夢中になる。性悪で嫌われ者のタヌキの役になんて⽬もくれないのに・・・。」ある 時、若くてモデルのような体型のオンナが⼊店してきた。彼⼥が⼊店したことにより、店の⼈気嬢は ⼀変していった。その不満は他のオンナたちに⽕をつけ、店の中での⼈間関係や、それぞれの⼈⽣背 景がガタガタと崩れていくのだった・・・。
⽮武(以下「やぶ」) ⾃主制作時代と⽐べて、撮る上で意識したことってありますか??
⼭⽥佳奈監督(以下「⼭⽥」) 私が現場の⼀番下っ端というか、映画の技術⾯と経験値が「⼀番⾜りない⼈だ」という意識はありました。⾃主映画も3、4本しか撮っていないし、商業映画へジャンプしてきちゃった感も。なので、本当に申し訳ないけど(現場の先輩⽅の)技術を盗もうと思って いたし、熟練の技術部の皆さんに助けてもらおうと思っていました。舞台をやってきて、⼈物に対しての演出⾯は俳優との向き合い、先輩⽅に引けを取らないくらい⾃信がありました。映画はスタッフと向き合って仕上げていく時間が多いけど、舞台は稽古を1か⽉して俳優の⾝体やメンタリティを理 解する作業の繰り返し。そこに関しては、⾃分の中の絶対的な⾃信を、揺らがないで持っていようという気持ちでものすごく臨みましたね。
やぶ スタッフの助⾔などで変えた部分はありますか??
⼭⽥ 映画制作であるあるなのかも知れないけどピンチとかあるじゃないですか。このままだと製作的な予想外の出来事というか「算段を打っていたロケ地が使えない」「スケジュール的にハマらない」という時に決断するのは監督だから、決断の先にスタッフさんが⼿を貸して決断をサポートしてくれることは少なくなかったです。カメラマンの伊藤⿇樹さんが芝居を⾒ながらカットの数を考えてくれるから、そういう意味では頼りにさせてもらってたし、⾮常に⾯⽩かったです。
やぶ これ何⽇間くらい撮影していたのですか??
⼭⽥ 11⽇間で結構ギュウギュウのスケジュール。プロデュースの内⽥英治さんから「拘り過ぎると時間だけが経つから、『どこに拘るか』を⾃分の中で時間配分を作っておいたほうがいい」と事前に⾔われて、戦々恐々としながらクランクインしたんですよ。で、⾃分の初商業作品に臨むから、 どういう⾵になるのか分からなかったし、すごく拘っちゃう可能性もあるし。でも「案外杞憂だな」 と思うことが多くて。スタッフさんや俳優陣にとって、信頼のおける監督でいようという頑張り⽅はギンギンで、普通に現場よりも体⼒の消耗が激しくて、移動中の⾞でそっと寝かせてもらったりとかしてましたね。電池切れちゃうじゃないけど。今思うと「すごい気⼒で闘ったなー」と。他の⼈にとって意義がある作品にならないと、⾃分の初商業は失敗すると思っていたから・・・。
やぶ 上映館にシネコンも⼊っているじゃないですか。コロナ渦で映画産業が相当ピンチに追いやられているけど、逆に「単館系へハコが回ってきやすくなった」と感じました。普段なら、広範囲に出ることが難しい作品にとって「ある意味チャンスだったのではないか」と!
⼭⽥ 確かに! ⾃分の中では、ピンチがラッキーになっていく作品だと思っています。東京国際映画祭2019⽇本映画スプラッシュ部⾨に選ばれた作品がどんどん公開が決まる中、『タイトル、拒絶』は決めるのが遅かったんです。「20年秋ぐらいかな」と、決まった段階でコロナになってしまって。他の作品のみなさんは、早々に意気込んで宣伝していたのに、⾃分たちの作品よりも公開が後になったり・・・「こんなことになってしまうのか」というか。そういうことを考えると、⾔い⽅は悪いけど「運は持っているのだな」と。⼀回映画の在り⽅を考えようっていうシンプルな考え⽅になったと思っていて、宣伝に関しても「この作品だからどういう宣伝の仕⽅を考えなければならない」って元々私が宣伝マンだったからというのもあってそういう考え⽅なのだけど、でもコロナ前に関して⼤作映画だったら勝⼿に⼊るじゃないけど、それなりに皆さん頑張って動いてはいるけれど、レールがひかれていたと思うの。宣伝にしろ、シネコンでかかる映画の種類にしろ。でも映画全体がってなった時に、じゃあ映画の特性というか、受け⼿が何を本当に⾒たいのか。⼀回⽴ち返るというか、スタートする上での⽩線が⼀つになったような気がして。「本当に何を作っていくか」ということをシンプルに考えなきゃいけなくなってきたんじゃないかな。数を打てば良いものではないし、作品が残る以上監督として誇れるものを残していくべきであると思うから、そういう意味ではシンプルになり、有利になったと思う。私は。やっぱり拘りというか、⾃分は作家であると思って臨んでいます。
やぶ そういえば『タイトル、拒絶』の意味は??
⼭⽥ 単純な理由は、私が舞台出⾝だから。舞台のパンフで、出演者の次回出演予定みたいな欄を読んだ時に、出演する舞台は決まっているんだけどタイトルが決まっていない作品が多すぎた。で、 「タイトル未定」とあって「未定なら書かなきゃいいじゃん!」って思ったの。「拒絶したらいいの に」って思っていて。「タイトル拒絶」というのが良いな。今回セックスワーカ―の⽅々、⾃分の⼥性性だったりと向き合いたいなって思った時に、⼥性性を拒絶する⼥である、という他者からの固定 概念に違和感を持つ。主張するお話にとてもぴったりだと思って、『タイトル、拒絶』と付けました。やっぱり⼈間は、⼀個⼈⼀個⼈が成り⽴っての社会だから、その中でラベリングされるというのはすごく腹⽴たしい。⾃分⾃⾝もしがちだけど。それをすることによって、すごく視野が狭くなっちゃうんじゃないかいって。
やぶ 主張を訴えている感じは観ていてしなかったんですよね、⾒やすいというか。けど、軽く「男性優位社会へのパンチ!パンチ!パンチ!」みたいなのは感じました。その中で、カノウ役の伊藤沙莉さんが主演ですが、実はみんなを魅せる潤滑油みたいなポジションで、恒松祐⾥さんや⾏平あ いかさんが主役なんじゃないかなって思いました。
⼭⽥ そうね、私は過度なフェミニストじゃないからだろうね。沙莉ちゃんも⾔っているけど、誰が主役で誰が主役じゃないとか無い映画なのね。それは私の良くないところでもあるし、今回私が観 たかったものでもあるのだけど。社会において誰が主役とかないじゃない。多分⾃分⾃⾝の⼈⽣や感 情しか分からないし。そうなった時に、セックスワーカ―の⽅々を描くという上で⼈⼀⼈の主⼈公を ⽴ててしまうと、それが固定概念になっちゃうのかな、と。10代の頃とかに「普通って何だろう」と 考えるじゃない。「何者かになりたい」「⾃分の⼈⽣を変えてみたい」ではないけど。沙莉の役も、 好奇⼼やグラグラしたものだったりに、巨⽯を投じようと思ってセックスワーカ―へチャレンジしたんだけど、やっぱり臆病なんだよね。⼈⽣っていうものに対峙しているセックスワーカ―の⼥性たちと、⾔葉を少なからず交わしていくことによって、気づくものもあったりするから、般若さんが演じている店⻑に向かって殴られながらも⽴ち向かうのかな、とは思う。あれも⽴ち向かうっていうより は、⾃分⾃⾝あるいは⾃分が⼥性であるというか、それを衝動的に守るためだと思うんだけど。
やぶ 本作は⼥性同⼠の喧嘩が多く、⼭⽥監督⾃⾝は⼥性同⼠のやっかみや痛みを越えた友情はあると思いますか??
⼭⽥ 乗り越えた後に許せたら友情は成⽴する。諦めたりだとかは、⼀種の「許す」ということに近いと思う。「こいつならしょうがねえな」という。そういうものを乗り越えた時に、友情は⽣まれるのかな? 「同じものに向かって切磋琢磨した場合で仲良くなる」というのはたぶん綺麗事。⾃分⾃⾝が相⼿に対して何を諦めるか、許すかっていう作業なのかなって、⼈というのは。その問題って、瀧内公美と菅原佳⼦の『夜、逃げる』(16)の時に描いているんです。うだつが上がらない⼈⽣観やそういう出来事に「しょうがないな」と、どこかでグレーなラインの諦めと許しを与える。そういうのがあると「友情になるんだろうな」と思っていて、⼈間って単純に⾒れば単純なんだけど、実はとても複雑なのが⼈間。だから「理想と美学」ってちょっと違う。理想は「⼀緒に仲良くなろうぜ!」と、いわゆるジャンプコミックス的なもので、美学はそれを受けて⾃分がどう変化したか、何を⼿放したか、と思うんだよね。だから年齢を重ねていくと、⼿放していくものが多くなっていくから許していくっていうことも多くなるだろうし。そこに向かうまでに、⼈間として枯れ果てていくというか。焦っていく作業の中で艶感を失っていくと、どんどん深みが出てくる。私は苦労した⼈たちが葛藤した上で何を⾒ているのか、そういう先に興味があるし、その先を⾒るまでの過程の⼀瞬にすごい美しさを感じますね。葛藤というか異分⼦のぶつかり合いじゃないけど、そういうのがあるから ⾊褪せていけるんだなと。それが⼈間の美しいところだなと思っています。
やぶ あのお店の中でも友だち同⼠って、居なかったですよね。
⼭⽥ 友だちは居ないんじゃない? 佐津川愛美さんが演じるアツコを中⼼に、⼥の⼦がワイワイしているけど、あれ多分みんな店を辞めたら連絡取らなくなると思う。でもそういう時間って、我々にもあるじゃない。学校卒業したら連絡しなくなったみたいな。でも⼈間って、その時必要だから相⼿がいるんだって。だから必要な時間を経ると、次の必要な時間がやってくる。そうなると、次の必要な⼈がそばにいたりするから、それは悲しいことではないというか必然だよね。だからあの部 屋の中で⾏われていることも、あの時間の彼⼥たちにとって必然なんだよね。
やぶ ⼭⽥作品には⾃主映画時代から「海」や「夜の都市⽣活」のイメージがあります。次はどんな作品をつくりたいですか?
⼭⽥ 「海⾏きがち、夜撮りがち」という特徴があり過ぎました。意識せずにそうなっちゃったんです。何もない海に魅⼒を感じていたり、夜の東京を撮りたかったとしか⾔いようがないんです。今作は描きたいものが明確にあったから、そこが必要なかったというか、出てくる余⽩がなかったんで すね。今後も⼈間を描いていきたいですが、興味のある物事っていうのは増えてきて…。⾼齢者の⽅がどういう⾵に余⽣を過ごしていくのだろうかとか興味ある。先⽇、取材で出会ったんですけど、剥製師の⽅が剥製を作っていく過程が⾯⽩かったんです。なので、いろんな⼈の「⽣きていく」という作業を丁寧に描いていきたいというのはありますね。
やぶ 舞台は東京から離れますか?
⼭⽥ 東京で絶対撮ろうとか思っていないから、離れても良いです。むしろ、離れれるものなら離れたいですわ。だって予算あるっていうことでしょ?「離れていい」って。離れたいわ!!(笑)。 ぶっちゃけ⾔うと次の作品は動いてて、どこかは⾔えないから「⾊々⾏きたいですね!」と⾔っておく(笑)。
やぶ じゃあ、札幌って書いておきますね!
⼭⽥ 札幌も⾏けるものなら⾏きたいわ!!
取材・編集:やぶあにすけ 編集助⼿:ふじのゆうき
『タイトル、拒絶』
シネマスコーレ(12⽉19⽇[⼟]/愛知)、サツゲキ(12⽉25⽇[⾦]/北海道)など全国順次公開
監督・脚本:⼭⽥佳奈 出演:伊藤沙莉、恒松祐⾥、佐津川愛美
© _DirectorsBox